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「セルフウェディング」私のように結婚しない選択をした人に勇気を届けたい。

  • 執筆者の写真: mossco
    mossco
  • 2 日前
  • 読了時間: 10分

大学職員 / 35 才                                   




トランスジェンダーと自認して10年の節目、34才で一人で結婚式を挙げた。

友人や家族を招待して、「結婚しないという選択をした私」を祝福するセルフウエディングを挙げたのだ。

参加者全員と順番に手を取ってヴァージンロードを歩き、自分自身でベールアップをして、自分の人生で大事にしたいことを掲げて「誓います」と宣言した。

大好きな人たちに祝福されて自分自身を表現した、この経験は私に取ってかけがえのないものとなった。



-勉強が得意でのびのび育った「少年時代」


男の子として生まれて、当たり前のように男の子として育った。

小さい頃はおばあちゃんっ子。

小学校の裏にあるおばあちゃんの家に、毎日寄って帰っていた。


友達も一緒におやつをもらって食べ歩きして帰ったり、

妹とおばあちゃんの家で宿題をしておやつを食べて、

Eテレの「天才テレビくん」が終わる頃うちに帰ったりしていた。

外で遊ぶのも好きで、友達とジャングルジムやボールで遊んでいた。


お母さんは優しい人。勉強しろと言われることはなかったけど、

通信教育や習い事など、常にいろんな選択肢を示してくれていたように思う。

そのおかげもあってか、勉強は好きだったし得意でもあった。

特に算数が好きで、宿題だけでは飽き足らず、自分で問題を作って自分で解いたり、

円周率を30桁まで覚えて教室で披露したりもした。どの教科も成績はトップクラスだった。


父は子育てにはあまり関わらない人。

長く単身赴任していたこともあって、思春期になると、父がたまに帰ってくると疎ましく感じるようになった。

3歳下の妹にはよくかまっていたのに、「息子」である私には無関心で、いないものとされていたように思う。

そんな扱いの不平等さにも少し不満を感じていた。


-活発な男子からおとなしいタイプに。


小学校5年生くらいまでは活発でうるさい子だった。

勉強が得意だったこともあって、授業中も手をあげたり発言することが多かった。


あるとき、授業中に他の生徒が答えた回答に対して、「ちがう、ちがーう!」と野次を飛ばしながら手をあげたことがあった。

それに対して、先生は教室が静まり返るほどの剣幕で私を注意した。

自分に悪気がなくても人を傷つけてしまっていたかもしれないと気づいて、その日から積極的に発言することがなくなった。


それからだんだんとクラスでもおとなしいタイプの友達グループに入ることが多くなった。

相変わらず勉強が得意だったので、中学の修学旅行のときには先生に頼まれて、ちょっとぼーっとした男の子たちとグループを組むこともあった。


学生時代は特に自分のジェンダーに対して違和感がなくて、「自分は男子である」ということを疑うことはなかった。

好きな女の子もいたし、ラブレターをもらって仲良くしていた子もいた。


ただ、中学一年のときに美術部に入ったら、先輩たち数十人全員が女子で、新入部員は男子生徒である私一人。

先輩たちはとても優しくしてくれたけど、自分が入部したから同級生の女子が一人も入部しなかったのではないかと罪悪感を感じたことはあった。



-初めての彼女。友達とのガールズトーク。


高校2年生の時に初めて彼女ができた。

高校は地元でトップの進学校。部活は、幼稚園などで子ども向けに催しを企画する児童文化部に入った。

先輩の引退によって部員が自分一人になってしまったとき、お手伝い部員として入ってくれた数人のうちの一人が後の彼女だ。

好意を寄せていた彼女と初めてのデートの帰りに、彼女から告白されて付き合い始めた。


児童文化部は小さな部だったけど、自分で募ったメンバーで、自分で好きに企画ができて、

得意のジャグリングなどで子ども達にも喜んでもらえて、とても楽しかった。

自分で企画したことで人に楽しんでもらうことに喜びを覚えるのは今も同じだ。


彼女を通して、女の子の友達2人とも仲良くなり、4人で行動を共にすることが多くなった。

3年生で部活を引退した後は、4人とも塾に通ってなかったので、放課後に机をひっつけてよく一緒に勉強をした。

そのあとご飯を食べに行ったりして、ガールズトークを楽しんでいた。

男子は私だけだったけど、「友達の彼氏」という以上に友人として受け入れてくれて嬉しかった。

クラスではおとなしかったけど、このグループでは心を開いて楽しむことができた。



-正体不明の違和感、涙。


一方、クラスの男子グループの下ネタなんかのノリは少し苦手に感じることがあった。

高校の修学旅行のグループ決めの時、クラスには特に仲のいい友人がいなかったので、

机に突っ伏してやり過ごしていたら、ある男子が私の腕を引っ張って仲間に入れようとしてくれた。


その子はクラスのムードメーカーで3枚目キャラ。

一人余ってる私を見かねての親切だったと思うけど、私は急に引っ張られたので椅子から転び落ちてしまった。


そのときなぜか私は泣いてしまったのだ。

そしてザワザワし始めた教室の空気に耐えられず、教室を飛び出してしまった。


痛かったわけではない、何かがイヤだったのだ。

そのときははっきりわからなかったけど、今ならその違和感の正体がわかる。

私は女だからだ。

彼ら男子グループと一緒はイヤだった。

ただそのときはせっかくの親切を受け取れない自分を責めていた。



-性的な欲求のすれ違いと彼女の浮気。


大学は第一志望の難関大に受かって充実した毎日だった。

ジャグリングサークルで公演したり、研究室の壁を越えて学びを深める「自主ゼミ」を企画したり。


一方彼女は志望校に受からず、モチベーションを失っていた。

そんな彼女と会う時間を作らなかったこともあって、彼女の浮気が発覚して別れることになった。


もともと私は性行為を求めない、セクシュアリティの分類でいうならノンセクシュアル。

ただ彼女の方はそれを必要としていて、その不一致も大きな原因だった。


彼女とは大学院卒業後にまた2年間付き合うことになるけど、

そのときには彼女にはセフレがいて、そのことも二人の間でオープンにしていた。

私には嫌な気持ちは全然なくて、正直でいてくれることがありがたかった。



-性自認への気づきとアイデンティティの確立。


自分がトランスジェンダーであると気づいたのは大学院生のころ。

気づいたきっかけとなったのは、自分の研究に熱心に取り組んでいたものの、思うように結果が出なくて家にこもってネットサーフィンをしてたときにたどり着いた「セクシュアリティマップ」だった。


「カラダの性」「ココロの性」「スキになる性」、これがそれぞれ違う12通りの性に分けられていた。

私の場合はカラダは男性、ココロは女性、スキになるのは女性、

つまりトランスジェンダーのレズビアンであることがわかった。

このような組み合わせがあり得るなんて全く知らなかったけど、まるで自分のことが説明されているようで深い安心感を感じた。


今までの人生で「自分は人間としてダメなんじゃないか」と思っていたいろいろな点が、

トランスジェンダーであるということで線として繋がって、自分のアイデンティティとなり、世界が広がった。

母にそのことをカミングアウトしたら、「そうかなと思ってた」とすんなり受け入れられて拍子抜けした。



-「エリート」と言われるキャリアに傷をつけたい。


大学院を卒業してから企業の研究職として就職したものの、男性社員として仕事をこなす日々にはやりがいが感じられなかった。

得意分野ではあったものの、このまま学歴やキャリアや安定にしがみついて冒険できない人生は嫌だ、と考えるようになり会社を辞めた。


その後転職し、ボランティア活動をしながら、好きな格好やメイクをして、名前も通称名で仕事ができるようになった。



-セルフウエディングへの想いと周りの反応。


セルフウエディングをあげたのは、私のように結婚しない選択をした人に勇気を届けたかったから。

私は自分の人生に必要と感じないから結婚しないという選択をしているけど

まだまだ結婚することが幸せの条件としてあげられることが多い。


結婚しないということが、人間として不完全であると感じる人もいるし、

変な目で見られたり、人格に問題がある人と捉えられることもある。

この社会は、結婚しないという選択をした人にとって生きやすい社会ではないのだ。

それから、同性婚や、選択的夫婦別姓も認められていない今の婚姻制度に対するアンチテーゼでもあった。


私が声を上げたことで、賛同してくれる人もいたし、

家父長制に反発する人が一緒に声を上げる機会にもなった。


「よくわからないから参加できない」という友人もいたけど、

正直にわからないと伝えてくれたことを嬉しく思った。


SNSでは一時炎上して、批判的なコメントが集まった。

私個人に対する攻撃だけではなく、トランスジェンダーに対するヘイトととれるコメントもあった。


そういった顔の見えない人たちの攻撃が最初は悲しかった。

でも一日たったらそういうものかと受け入れることができた。

だって私が声を届けたいのは、「結婚という選択をしないことで辛い思いをしている人」という少数派であって、決して結婚を望む人を否定したいわけではないのだから。

そう思うと、理解できない人は理解できなくていいと割り切ることができた。



-温かさに包まれたセレモニー。


セルフウエディング当日には約40人の家族や友人が参加してくれた。

ドレス選びは、母と東京の衣装スタジオに出向いて、

真っ白なウエディングドレスと、薄いブルーグリーンのカラードレスを一緒に楽しんで選ぶことができた。


当日は大好きな人たちに囲まれて幸せな1日だった。

母とケーキの食べさせ合いっこをして、そのあと父と母が食べさせ合いっこをした。

お色直しのときは妹にエスコートしてもらった。

友人たちが乾杯の挨拶やスピーチをしてくれた。

プリンセスに憧れる5才の男の子が、ピンクのドレスで参加してくれた。

私は本当に人に恵まれていると思う。



-本音を受け入れたからこそ出せたエネルギー。


セルフウエディングは私の人生の中で特別な思い出になったし、

私にとって名刺のように、私を表す言葉にもなったと思う。


初めて会った人がセルフウエディングのことを知ってくれてたり、

イベントのスピーカーとして登壇したり、

一人で結婚式を挙げた人がいると世の中に認知されるのは意味のあることだと思う。


でもそんなセルフウエディングも、最初は日々の仕事に追われてなかなか準備が進まなかった。

そんな中、コーチングを受けて気づいたのは、「チヤホヤされたい」という、

決してかっこよくはない本音だった。


本当は社会へのメッセージは二の次で、本音はもっと純粋な自己満だった。

でももしこの気持ちに気づけなかったら、こんなにエネルギーを注げなかったと思う。


人生において、入学式や卒業式、結婚式などのセレモニーは、そんな願望を叶える役割もあると思う。

結婚しない、子どもを持たない人は、卒業式などを最後に、人生にセレモニーの機会がないのだ。


「承認欲求」というのは人間が多かれ少なかれ当たり前に持ってる欲求だけど、

一歩間違えると叩かれやすい。だからあまりおおっぴらにしないのが普通だと思う。

でも今回、自分の隠し持っていた欲求をエネルギーに変えて、

周りを巻き込んで何らかの影響を与えられるような大きな行動ができてよかったと思う。









インタビュー・ライティング/mossco

 
 
 

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